「好きなことを仕事にして生きていきたい」
そう願いながらも、
私は家族との生活、
現実の責任、
将来の不安、
いろんなものを抱えて、
なかなか一歩が踏み出せなかった。
そしていよいよ、私は夫に
「辞めたい」想いを打ち明けた——。
でもそこで待っていたのは、
冷静で厳しい現実の声だった…。
家族を大切にしたいのに、できていない自分が辛かった

部署異動をきっかけに
「やっぱり、もう限界だ」
と感じたけれど、
その辛さは今回だけじゃなかった。
ずっと、子育てとワンオペで走り続けていた私は、
家族を大切にしたいのに、
全然できていない自分にずっと苦しんでいた。
「一度きりの人生、もっと好きなことで
生きていきたい」
そう、とつとつと夫に気持ちを伝えた。
パパの提案は「まず休んで、冷静になろう」
夫は私の辛さには理解を示してくれた。
でも
「今は冷静じゃないから、まず休もう」
と。
いきなり辞めるんじゃなくて、
まず“休職”を選んでみてはと提案された。

私は職場では何食わぬ顔をして淡々と働いていた。
でも、心では「辛い…」と叫んでいた。
ようやく受診した心療内科では、
あっさり「適応障害」と診断された。
私は元気なつもりだったのに…どこか不思議な気持ち。
もしも今、悩んでいる人がいたら、
誰かに相談してみてほしい。
やっぱり、自分一人じゃ、気付けないこともたくさんあるからね。
なかなか最初の一歩って難しいけれど、
ちょっと、話してみたい。
それができるのがオンラインの良さ。
迷っている人がいたらちょっと覗いてみて、
きっと楽になるから大丈夫!
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初めての「ゆったりした日常」に涙が出そうになった
休職して初めて、
子どもたちを兄弟で見送れる幸せ。
朝の家の光の中で、掃除ができる時間の尊さ。
日常が、なんてあたたかくて穏やかなんだろうって、
泣きたくなった。

でも同時に思った。
「…で、私はこれからどうしたいんだろう?」
「私って何が好きなんだろう?
何が得意?
何がしたい?」
自分の「好き」を探す旅が始まった
実は、夫婦関係にモヤモヤを感じていた頃から、
「自分を満たさなきゃ、他人にも優しくできない」
って気づいて、
私は“自分の好きを探す旅”に出ていた。
- 小顔整体に通ってみた
- 夫婦関係を学ぶ講座に参加した
- 心理学・脳科学・コーチングを学び始めた
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心の癖や脳の仕組みを学ぶことで、自分を変えていく勇気になった)

自分のことにお金をかけるなんて
「もったいない」
と思ってた私が、
少しずつ、
「私を大事にする許可」
を出せるようになってきた。
好きを仕事にしている人に出会って、私も「そっち側」になりたいと思った
講座や学びの中で、
「好きなことを仕事にして、
軽やかに生きている人たち」
に出会った。
最初は信じられなかった世界。
でも、どうしても惹かれた。
私も、そっち側の人間になりたい——
そう強く思うようになった。
「やりたいから、やりたいの」女性性全開で、パパに再び気持ちを伝える

そして私はパパに再び伝えた。
「私、好きなことで生きていきたい。
それを仕事にしたい。」
でも返ってきたのは…
「夢見るミュージシャンかよ。」
「大賛成だけど、大反対。」
——現実的で、計画性も展望もない今、
家族がいてそれは無理だ、と。
たしかにその通り。
かつての私なら、事業計画を立てて、
数字で論破しようとしてたと思う。
でも今回は違った。
私の背中を押してくれた、
お花畑メンターの言葉——
「はなちゃん、理詰めに理詰めで返しちゃダメよ」
「“やりたいからやる”それだけでいいの」
私は理屈を超えて、
「やりたいからやりたい」と、
ただその想いだけでパパに伝えた。
18年の公務員生活に、ついにピリオドを打った
呆れ顔のパパは、
最終的には
「1年間、やりたいことをやってみたら」
と言ってくれた。
不安もあるだろう、反対もあっただろう。
でも、これまで頑張ってきた私を、
きっと見ていてくれたんだと思う。
そして私は、
18年続けた公務員を、手放すことを決めた——。

【次回予告】
いよいよ退職。
肩書きを失った私は、ふとこう思う——
「えっ…私って何者…?」
“無職”になった私が向き合った、
アイデンティティの迷子期について
次回はお届けします🌿
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